初瀬街道 【3日目】 

2015年2月1日

近鉄赤目口駅高橋から前回の別ルート~黒田橋~新田回り~青山町駅~西青山駅
赤目口駅から高橋まで15分ほど移動、
高橋からは前回と別ルートの宇陀川の西側を進み、名張新町の黒田橋へ。名張市街地は前回と同じ道で、東町に出てここで分岐、前回は南回りルートでしたが、
今回は新田回り道ルートを進みます。途中伊賀ゴルフコースでかつての七見峠が消失しているので迂回して新田回りと南回りが合流します。
そして前回の起点青山町駅から、西青山駅まで歩きました
      赤目口駅   7時30分 スタート
     高橋     7時45分
     西青山駅   16時30分 着
      48.542歩  29.12km  2196kl

近鉄赤目口駅7時30分ここから歩いて、前回の宇陀川に架かる高橋まで移動します

高橋、7時45分スタート 高橋を右に宇陀川に沿って北に進みます。橋の西詰にふかのや商店があります

右の高橋、坂之下橋まで同じコースです

途中 沈下橋の猪尻橋 を右に見て

右の下に 水神碑 享保2年(1802)建立 猪尻橋の北詰に

国道165号線に合流します

合流したところ国道の歩道橋からこの先の国道(街道)を見る。前方に坂之下橋が見えます

坂之下の交差点に出ました。前回右に折れて坂之下橋を渡る旧道を進みました。
今回は真っ直ぐの国道を進みます

交差点の左手前には 天下錦地酒博物館

交差点の東北角にある 地藏道標 道標を右にして笠間峠から桜井への奈良街道登り口の旧道「右 ならまち」

地藏道標を少し坂を上った右に 卵型の道標 「やくし道 是より二丁」 文久二年(1862)、新堂寺(明治初年に廃寺)への道標

道標前から坂之下橋方向の交差点を写す

交差点右角に 五輪塔 と坂之下橋

国道165号線を真っ直ぐ進みます。右遠望に青連寺湖方面の山や名張市の百合丘住宅地

暫く進んでいくと国道左に岡本パーツがある。右側に用水路の堤があります、10m程入った堤に、南無阿弥陀仏碑 が建っています

その先100m程で赤目口交差点に出ます、真っ直ぐ国道を進みます

交差点を右に行くと 赤目の滝 です

右GSの手前に 

祠から100m程進むと国道を右に分け、左の道に進みます

黒田地区に入り小さな川橋を二つ渡り集落に入っていきます

その先で道は分岐します、街道は左に進みます。その分岐する手前右に

供養碑 が建っています「観世音菩薩」と刻まれていて、宝暦五年(1755)建立

さらに100m余り進むと交差点の左手前角に 道標「宝国 不動明王」大正五年十月

交差点の左向かい角には 道標 「第五十三番黒田村 右 弘法大師霊場 従是三町無勤寺」

その先で新しい道の交差点を越えます

200m程進むと小川を越えて、新道の十字路を横断して真っ直ぐ進みます

  街道沿い右に 板碑が二基 建っています

真っすぐの田園の中の街道を振り返る

黒田の集落を進みます

集落の中、左の民家で旧道は完全に消失していますが、この辺り左斜めに進み、名張川に出て川を渡っていたようです

その先で右に大きくカーブして宇陀川に架かる黒田橋に出ます。

 黒田橋の西詰左袂に 地蔵二体の祠と自然石の道標「黒谷法然上人石碑 従是二丁西有」

少し左には 水神碑 明治11年に建立 桜の木の下の水神碑

橋の右側に自然石の 道標 「右 はせ 大峯山上三十三度供養塔 左 あめが滝」 

黒田橋を渡ります

橋を渡ると堤防沿いの前回歩いた旧道が右から合流してきます。
右角に 道標 が建っています天保15年(1844)「右はせならみち 左あめがたき」
隣に小さな 天保3年(1832)の 川原石の道標 供養碑

この先暫く前回と重複した道になります

道標と黒田橋を振り返ります

橋を渡って左に折れて名張川に架かる新町橋を渡ります

新町橋を渡り堤防に沿って左に折れたところです

名張川と宇陀川が合流する左を見ますと。この辺りがかつての 宇陀川の渡し跡 です

右に 水神碑・常夜灯・愛宕神社 があります、その手前を右に折れて鳥居の前で右に再び折れます
この先前回と重複するので簡単にします

 鳥居の前を右に折れた道

すぐ先の十字路を真っ直ぐ街並みに入ります右に折れると新町橋です

真直ぐ進んでいきます前回の歩いた重複します

街道より一筋北側 江戸川乱歩の生家 は、道路(南側)の向かいにある石柱(舛田医院)の敷地内にありました

江戸川乱歩生誕地の碑

街道を進みます

名張市 旧細川邸・やなせ宿

細川邸内

 突当りを左に折れます

左に折れた街並み

江戸川乱歩生家跡に入る路地

この辺りの町並みは前回に説明しているので省略します

一番最初に歩いた鍛冶町橋からの道が右から合流します

合流する右の街筋

左に 木屋正酒造 の重厚な建物

右に羊羹の 大和屋

辻の丁子屋 のある交差点に出ます

交差点を左に折れた街道です。左角が丁子屋です

 十字路右の道はサンロード商店街

左に折れて進むと一の鳥居が道の両側にまたがっています。宇流冨志禰神社(通称春日さん)の鳥居

一の鳥居名残の松 を左に見て街並みを進みます

商店街の通りを進んでいきます

松崎町の町並み

名張駅の右からの広い道路の交差点に出て横断します

左、松崎町集議所の一角にある 秋葉愛宕神社

 東町に入ります

中央分離帯のある広い道路を越えます

やがて左からの道路が合流します

右角にある 両社八幡宮

 200m程車道を進みます

途中左に 南無法蓮華経の題目碑

 分岐する道を右に入ります

200m程進んだ先で小川の橋を渡ったところで左の細い道があります。
前回はここを真っ直ぐ進む南回りコースを歩きましたが、今回は左に折れて 新田回りコース を進みます。黒田橋からここまでは前回も今回も同じ、名張宿の街並 みを歩いてきましたです

新田回りコース の入り口南回りコースは真直ぐ進む分岐です

南回りコース道を見る

右にカーブしながら小川を渡り田畑の道を進みます

旧街道は左建物辺りから左斜めに進み並行しながら進んでいたようですが、今は完全に消滅しています

正面に広い区画された蔵持地区の田畑が広がる。かつての旧道は左の57号線との間を通っていた。旧道がないので車の多い道を回避して、適当に旧道を想像しながら進みます

 左、57号線の向こう側に、新しい名張市中央浄化センター建物

右手方向に蔵持小学校の建物

旧道は後方もなく消えています

右の小山の頂に 春日神社

斜面に沢山の 地蔵や庚申塔 が並んでいる

この辺りから旧道が復活するシャックリ川に架かる町田橋を渡る

町田橋から新道とその左側を平行していた消滅した旧道跡を振り返る

町田橋を渡ると右手川沿いに碑が並ぶ

常夜灯の型をした、湯舟谷開路碑 開立坂にあったのを移築、明治十七年建立
隣に 二月堂御供田記念碑 明治二十四年建立

碑の向かいを左の旧道に入る蔵持の集落

右にわからないが 碑が建つ 顕彰碑

右に緩やかにカーブします

集落内で左坂を上る道を入り、少し【寄り道】

坂を上っていくと 浄土真宗本願寺派西光寺

真言宗高野山派長慶寺 「いぼとり地蔵」で有名

境内に 松尾芭蕉の句碑
   香ににほえうにほる岡の 梅の花

境内にある いぼとり地蔵

此の地蔵尊は日本三體の一つで、東京浅草観音境内・西宮稲荷神社境内にある

長慶寺の北西の境内に 宇丹が丘こがね地蔵尊 地藏の姿がやかた型。商売に御利益があるという。

もとの街道に戻り先を進みます、右に松山酒造場

集落が切れるところで十字路に出ます。説明板が左にある、真っ直ぐな 開立坂 の山道に入ります。
本居宣長が歩いた道の案内板には明和九年(1772)に歩いたとされる、

坂の登り口から今歩いてきた道を見る

 旧道が残る開立坂

分岐を右に進みます

少し旧道も消失しているのか怪しい道になりましたが、何とか通り抜くことができました。みえ歴史街道の小冊子でもう回路になっていましたが、歩けて大満足。ただし2月だから歩けたが、夏場や秋の草が多いときは無理かも。

開立坂の出口につきました、広い道路、桔梗が丘の里交差点に出ます

旧道はここまででこの先真っ直ぐ進んでいましたが、桔梗が丘の広い住宅地で完全に旧道は全く跡形もないです

里交差点へ出てきた開立坂の方向を見る

仕方がないので、右方向に進み近鉄桔梗が丘の駅へ出ます

桔梗が丘駅の西側の前の道を北に線路に沿って進んでいきます、かなりの距離です。途中ひだりには二郡池があります。やがて左にトラックの駐車場の広い空き地になっています。
かつての旧道は西側(左)桔梗が丘西西番町、三番町、四番町と北に進んでいました

その右手前に 

トラックの置いているところ、左へのみちがありました、ヒョットしたら旧道かもと思って左への道を探索します

数百m先までこの時期であれば入れたので、行けるだけいきました。やがて正面にグランドがあり、旧道らしき道は消滅しています。でもその向こうには桔梗が丘の住宅が広がっており、間違いなく、開立坂の延長の道と確信しました。大満足です。

消失しているグランドから旧道を戻ります金網に沿っての道を進みます

結構広くて足元は少し荒れているが、刈った後があるようで、旧道として整備すればいいと思うが

ただ雨の後はぬかるんで歩きづらいだろう

中、民家か倉庫か一軒建っています

また少し先で、民家が建っています

舗装道に出ました

低い雑木林の中を進んでいきます

分岐する道を左に進みます。右の道はトッラックが駐車していた広場に出ます

旧道らしい雰囲気の道を進みます

右より一段高いところに出ます

やがて公園のような場所に出ます

 旧道を出てきたところを見る

右に 延命地藏と供養塔
県道の手前右、台座の部分に四国遍路の供養碑が埋めこまれている、供養碑は、安永二年(1773)の銘で祠の中にある。

少しでも旧道が残っていて見つけられ最高右手(東)方向には北中学校
でも恐らく、住宅が広がってきて、近い将来なくなるだろう

県道を注意しながら横断して向かいの旧道に入ります

横断したところから、再度出てきたところの旧道を振り返ります

西原町の集落 旧家も残ります

左からの57号線の県道が合流します

合流した先左に 愛宕神社

暫く県道に沿って進みます

西原町の伊賀コリドールロードの信号交差点を越えます

交差点より200m程先で小波田川に架かる新田橋を渡ります

いまでこそ面影は全くないがその先、さいごろの坂(きつね坂)を上りますが緩やかです、
坂の途中左に、凄く綺麗な竹林の一角がありますが、竹の種類が違うのだろうか当時は、木々が茂り、昼なお暗く気味が悪かったとか、今では想像もできない

右に矢倉医院

美旗町に入ります。広い交差点を越えます、右に美旗郵便局があります

交差点より200m弱進むと、左T字路に出ますそこの辻を右に折れます。この辺り民家の裏手に暴風藪があったそうですが今は見当たりません

右に折れた筋 
新田宿 であった,
幕末から明治にかけて旅籠と商家が並んでいた、この辺りは風当たりが強いので家々の裏側に防風藪があったそうです

左に 美波多神社の常夜灯 嘉永元年(1848)の銘左に入っていけば神社ですが、少し離れているので寄れません

古い家並みが残る宿

長屋門のある大きな旧家、もと旅籠井筒屋であったという。隣に郵便局でそこは元、桝屋という旅籠であった

 近鉄線の踏切を渡る、右300m程先に美旗駅

線路を越えると、宿場の情景が浮かぶ街並み旅籠や商家が並び賑わったという

右に健康センター美旗SS

民家の傍らの 

 車もほとんど走らないし最高

左に 天台真盛宗真性寺 本尊は馬頭観音、承応年間(1652~1655)の創建

道が少し狭くなりました

結構長い宿場の街並みが続きます。左に煙り出しの屋根がある大きな旧家

多分商家であったのだろう、珍しい八角形の珍しい煙り出しの屋根

 左に旧街道 名残の杉、ここで長い新田の宿場の街並みは終わります。左は新田用水の堤になっています

林の中に 愛宕神社・地藏 石垣の一部のような、愛宕神社の傍に 道標 「ひだり いせみち」天保三年の銘

堤の上にある 道標 「左 いせ道」天保三年(1832)の銘

堤の上の道標、向かって左が今歩いてきた旧道、右が新田用水 振り返る

 右の 新田用水

正面の角に 常夜灯 慶応二年(1806)の建立。五差路になっており、街道は常夜灯の手前左の道を曲がる。左鋭角に新田用水堤に沿う道もある

交差点を左に折れる道

少し歩いていくと右に 石地蔵見過ごした

分岐しているが右の真っ直ぐの道を進む

やがて分岐する道で左角に 常夜灯 天保三年(1832)のもの、名張市最大の常夜灯「大神宮」。
右の道を進みます

常夜灯の先で道が狭くなり小川に橋が架かっています

さらに進んでいくと小さなトンネルがあります。かつての伊賀鉄道の線路下のトンネル、地元の人が畑に行く道だと思います

この山の 七見峠 を越えていたが完全に街道は伊賀ゴルフ場で消失しています

仕方がないので先ほどの五差路にあった常夜灯まで戻りゴルフ場の東側に迂回します、
真っ直ぐの道を南に進みます。200m余り先で分岐しますが真っ直ぐの右の道を

みはた歴史散策の案内板、左の雑木林が、桜町中将宅跡 滝川氏城東隣の山で、天正伊賀の乱のとき滝川氏が築城。 右のグランドが 滝川氏城跡

酒蔵

下小波田の集落

左に製材所、右に車道、製材所のすぐ先で交差点に出ます、左に交差点を曲がるところで、迂回したので、
南回りコースの旧道と合流します。青山駅前までは同じ道です(前回歩いている)交通の便がないので再度歩くことになります

ここから止む無く、新田コースと南回りコース合流して歩きます
東に蛇行しながら、姥ケ芝池を右に見て更に新田池を右に

上野市に入ります

 馬場池を右に見て伊賀GCのところで右に折れます

左に伊賀GC、右に馬場池

杉林の道を進みます

やがて右に165号線が接近してきます

三谷川の三谷橋を渡ります

右からの165号線に合流します

橋の手前で右に下りますが、
前回行っていないのでその前に、新田回りのゴルフ場で西側の登り口消失した七見峠越えの、今回東側の登り口に行ってみます

十字路から300m程新田ルートを山の裾野までくると、右へのカーブする道が分岐しますが、旧道は左の山に入っていく道です

七見峠へ
かつて急な坂道が続き、十七曲りといわれていました、
このさきですでに旧道は廃道化しているようです。

峠方向を見る

元の十字路に戻る途中に 三谷川に架かる西山橋

橋から七見峠を見る

十字路に戻る道

戻る途中からもう一度振り返りました。山裾までは旧道が残っていました

前深瀬川に架かる新羽根橋を潜った辻で、かつての旧道、新田回りと南回りの街道 はここの辻で合流していました。ここから前歩いた道青山町駅まで重複します

左に 常夜灯と水神碑

この案内板は少し不親切で歩いていない人が立てているのか。看板を掲げるなら、かつての初瀬街道はここで、今はゴルフ場で峠越はできませんと書いておくべきだろうと思いました

この看板、常夜灯と水神碑の北側地道が旧道跡だろうか

 右に 照皇宮神妙宮の看板と 常夜灯

さらに150m程進みます

右の常夜灯の前の街道を振り返る正面の山が七見峠と伊賀GCです

その先の右にも 常夜灯 があります、すぐ先の辻を左におれ、前深瀬川に架かる羽根橋を渡ります

橋を渡り右に道なりにカーブして進みます

右に折れた先の集落

左に 真言宗安楽寺

その先で右にカーブします

右角に建つ 常夜灯と地藏群

初瀬街道の標識

さらにその先右にカーブする左角に 
初瀬街道 阿保宿 の案内板と常夜灯

その先右下に 庚申碑

青面金剛の像 が刻まれている

阿保宿の街並み

左、T字路にでます 延命地藏尊・常夜灯・石碑 があります、前回歩いたとき詳細に記載しているので省略します。右の道は 阿保親王の墓 へ、前回行ってますので省略します

すぐそばの橋を渡り、阿保宿の街並みの中心地を進みます

旧家の残る街道風景の街並みを進む

阿保西町信号交差点を越える

交差点手前左奥に 慈福寺

左に 浄土宗安養寺

青山郵便局手前の辻、左角はかつての 旅籠「たわらや清右衛門」

辻の右への道は前回寄っている 大村神社 への道

旅籠の辻を、郵便局前から見る、一直線に進んできた阿保宿

 左に折れると200m程で木津川に出ます。宿もこの辺りで終わります

木津川の右堤防上に 菅笠日記抄の碑

橋より阿保宿への宿町を振り返る

木津川に架かる阿保橋、その北詰に 道標 「左 うゑの 右 いせ道」

北に近鉄青山駅をみて国道を右に折れる、
2回目はここで終了しました
2回目の補足分ルートを完歩


国道を右に折れたすぐ左にも 道標 「右 いせ道」 「みぎいせみち ひだりうゑの」

 少し先に 祠と常夜灯 そのそばにも 道標 「右 いせ 左 うゑの」

青山駅を後にして祠・灯籠・道標の前から暫く木津川に沿って進みます

途中左に道がある角に 山神

その先150m程で道は分岐します、正面の角は田中建具店。その右の川沿いの旧道を入ります、右はすぐ木津川

右側斜め背後は木津川の、宮の渕井堰

堤の地道を進みますと、前方に赤い大村橋が見えます

前回寄った大村神社へはこちらからもいけるようで近いようで行ってみます。(寄り道)木津川に架かる大村橋を渡ります
大村神社の鳥居

参道の厳しい133段の石段を上ります

前回見落とした 虫食の鐘日本三大奇鐘の一つ

大村橋に戻ります、なかなか立派な古社です

橋からの景色、堤防沿いに200m程進みます

堤防沿いの道

竹林の気持ち良い道

右に 水神 天保六年(1835)建立、木津川から柏尾川に代わったほとりにある

その先で国道と合流します角に 地蔵と碑、大村神社の案内表示板

地蔵の 足元の碑 「街道安息地」と刻まれています

少し国道を進んだところから振り返りました

暫くは国道165号線を坦々と進みますでも、ガードレールで完全に防御している道なので安心して歩けます

途中左にある 

右に新しい岡田橋

国道の一筋北側の道に移りました、車も走らないから気にしなくていいから、旧道でないと思います。岡田大橋の先は歩道が無くなるので車に注意が必要です

前方に高架の伊賀コリドールロードの高架が見えます

その間左に 世直ししばられ地蔵尊

高架道路と天狗大橋

 高架の先で道は分岐します、左に国道が中山トンネルに入りますが、旧道は右の木津川沿いを進みます

 左に大きくカーブします.かつてこの辺り、伊賀の中山あるいは天狗岩と呼ばれた

カーブした先から振りかえる

その先でトンネルを抜けてきた国道に合流して木津川に架かる中山橋を渡ります左は 天狗岩 とよばれている

合流する手前右のガードレールに隠れるように 歌碑 本居宣長が「菅笠日記」に記した伊賀中山の風景を読んだ
       河づらの伊賀の中山なかへに見れば過うき岸のいわむら

中山橋からトンネルをみる、旧道はその左から出てきました

この辺りに 勧進橋仮説記念碑 があるが分からなかった

伊賀上津地区に入る

左のガードレールに隠れるように 道標 「右 いせ道 宮川迄十四里」 文政九年(1826)刻む

国道は真っ直ぐ進み旧道は右に入ります左に進めば近鉄伊賀上津駅へ

 静かな里道の旧道快適です疲れが感じない

かつてこの辺りは初瀬街道の中でも賑わった、伊勢路の街 今でも情緒があって雰囲気いいが、賑わった面影は見られないが

右に 常夜灯  明治28年のもの

常夜灯の前の街道を振り返る

常夜灯の横の道を右に入ると  真言宗豊山派善福寺

境内に 墓石群 がある

常夜灯の先で道は広くなっている,国道と交差する、右に折れます。左に行くと近鉄伊賀上津駅へ

交叉点を右に折れすぐ右に 庚申塔と記念碑記念碑 には菅笠日記の一節が刻まれている

 庚申塔

石仏群

初瀬街道は、江戸時代には大阪や京都方面から伊勢神宮にお参りするみちであった。昔の人は一生に一度はお伊勢参りがしたいという願望があり、その人たちは講という団体をつくり、旅の途中では宿場に泊まった。
ここ 伊勢地(伊勢路)の宿 は初瀬街道最大の難所といわれた、この後控えている青山峠の西麓に位置していたので、ここで止まる人で賑わった。当時20軒ほどの旅籠が軒を連ねていた。
宿場の中央に文政11年(1828)に建てられた大きな常夜灯が残され、徳田屋、大和屋、角屋 の建物は、江戸時代の情緒を今に伝えています。この宿場には毎夜何百人もの泊まり客があったと伝わる。青山峠の東麓に位置した垣内の宿と共に大きな宿場街であった。

伊勢地宿
数軒、明治末期の旅籠の建物が残る。宿の看板や講看板を残している。伊勢地宿の特徴は入口の梁が高くして、馬に乗ったまま家の中に入れる配慮だそうです

 国道を100m程進んで左の旧道に曲がりますかつての伊勢地宿の中心地の街へ

すぐ青山川に架かる伊勢路橋を渡ったところです。常夜灯の辻を右に折れます.右角がかつての 旅籠「大和屋」 大きな旅籠だった

常夜灯 文政十一年(1828)のもの

昭和30年頃までは伊勢地宿で書かれたが、その後伊勢路と書かれるようになった

常夜灯の辻から振り返ったところ、左が大和屋

辻から先の街並み素晴らしい

 この先の中間左に 本陣跡 があったようです

旧旅籠「徳田屋」ここも大きな旅籠だったのだ、この宿場の旅籠はどこも立派で大きい

徳田屋の前から街並みを振り返る白い車が景色の邪魔をする

右に薬師橋で右に入っていけば 薬師堂 があるが寄りません

薬師橋から川沿いの情景

その先の道は狭くなります

右に青山川の対岸から国道が合流してくる手前左に 妙見大菩薩 伊勢路の集落の東端になります

国道に合流します

この先の国道165号線は歩道もなく、車もスピードを出して上り下りを走りますので、横を見る余裕はありませんので特に注意が必要です

坂を上りながら青山峠を目だします。でも今は広い舗装の道ですが、往時は難所の峠越に難渋したのがよく想像できますが、まだ本、序の口のようです

 上り坂の途中で国道は真っ直ぐですが、左に入る旧道跡がありますので入ります。国道は百々橋を渡っていきます

旧道は青山川を右に沿って進みます。

思っていたより素晴らしい旧道です

左に 地蔵 花が供えられているから、どなたか管理しているのだろう。それとも最近遭難でもしたのだろうか。資料にもないからそうだろう

少し道は荒れてきたようです、ほとんど人は入っていないようです

怪しくなってきました、戻らなければいいのですが

良くなりました、これは冬場だから歩けますが、夏や秋は難しいでしょう

ついに心配していたことが起こりました、倒木で道を塞いでいます。右のがけ下の川に落ちないよう注意しながらもう少し進んでみます。

振り返ったところです

もうだめかと思ったとき、少し先右にカーブすると国道が見えている、もうがむしゃらに雑木や草を掻き分けかすかに残る、道跡を探りながら進みました。おそらくこのままであれば、せっかくの旧道遺跡も消失してしまいそうです

出ました右からの国道に、こちらから入る場合は無理でしょうし皆諦めるだろう、その先には快適な旧道が残っていても

国道は松地橋を渡ってくる

松地橋から緩やかな坂を上ります前方に近鉄線の高架が見えて潜ります

高架を潜った右、青山川が接近するところが松寺井堰

 猛スピードで走る車に注意しながら長い坂を進みます

やがて前方に近鉄西青山駅が見えてきます

近鉄西青山駅、この先青山峠越で切りのいい本日はここで終了します。自宅までは益々遠くなってきました

3日目終わり

次の日はコチラ

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